Buoy Tenders, Lighthouse Tenders
アイコン | 意味 |
戦闘や事故で失った場合(沈没、墜落)や損傷した場合、艦船などの内部で事故や事件がおこった場合の意味です。自軍や同盟軍、所属機関、所有会社が行った沈没処分や破壊処分、漁礁としてまたは演習で使用して沈めた場合にはこのアイコンは付けません | |
戦果や功績、各機関に寄贈された場合の意味です。戦争などで沈没し、何十年後に発見された場合もこのアイコンです | |
映画やTVドラマ、ドキュメンタリーに使用された場合の意味です | |
参考文献、小説や書籍に登場する事柄です | |
インターネットやTVゲームに登場する事柄です | |
不可解な事故&事件およびUFOなど超常現象に遭遇した事柄です |
- ※データは税関監視カッター・モリスタニー級の項を参照
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
リチャード・ラッシュ | Richard Rush | Webb & Allen | 1840 | 1848 | ◎1840/3/30 灯台部に移管 ◎1848 売却 |
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アクティヴ | Active | ◎1843 スクーナーを取得(~1848) |
- 排水量:100t
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
サンビーム | Sunbeam | 1852夏 | ◎1852年建造?のスクーナーを取得 ◎1869 係船 ◎1870初め 売却 |
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◎3rd Lighthouse District (NY). |
- 排水量:85t 全長:22.86m 幅:7.31m 吃水:1.34m
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ファイアフライ | Firefly | 1852 | ― | ◎1852 スクーナーを購入 ◎1857 ジャスパー Jasperと改名 1857/9 Shackley Banksにて座礁 1861 ウィルミントンにて修理中、アメリカ連合国軍に捕獲 |
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◎6th Lighthouse District. |
- 排水量:548t 全長:48.76m 幅:8.33m 吃水:3.58m 主缶:缶1基? 主機/軸数:inverted compound condensing steam機関/1軸 速力:9.0kt 乗員:12名
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ファーン (1、2、3) |
Fern | Delamater & Steack | 1871/12/27 | 1891/6/30 | ◎1878 改装(修理額$17,437) ◎1891/1/30 海軍に移管 |
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◎12th Lighthouse District (San Francisco), Mar 1872, 3rd Lighthouse District (NY), 1873. |
- 軽荷排水量:411t 満載排水量:806t 全長:54.86m 幅:8.38m 吃水:3.50m(最大) 主缶:石炭焚き還流煙道缶2基 主機/軸数:Compound inverted condensing fore & aft suface condensing蒸気機関1基(1917年にはディーゼル機関1基に換装)/1軸 出力:700制動馬力(1919年には750計画馬力) 乗員(1907年時):士官5名、下士官兵21名(1910年には士官6名、下士官兵22名、1915年~1917年には士官6名、下士官兵19名、1925年には士官7名、下士官兵21名)
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
マドローナ (1、2) |
Madroño | John H. Dialogue & Son | 1885/9/14 | 1927 | ◎1894 起工 ◎1885/9/14 進水 ◎1917/11/27 海軍に移管 ◎1919/7/1 灯台部に移管 ◎退役後、売却 ◎1927(1929?) 鮭缶詰工場の貨物船となる ◎1938(1944?) 陸軍が取得、チャールズ L. ウィランド大佐 Col. Charles L. Willandと改名 |
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◎San Francisco. |
- 軽荷排水量:330t 満載排水量:516t 全長:46.93m 幅:7.39m 吃水:2.74m(最大、3.96mとも4.26mともいわれる) 主缶:石炭焚きスコッチ式水管缶1基 主機/軸数:inverted condensing fore & aft compound蒸気機関1基/1軸 出力(計画):400馬力 乗員(1908年時):士官5名、下士官兵14名(1910年には士官5名、下士官兵17名、1911年~1915年には士官5名、下士官兵19名、1916年には士官5名、下士官兵21名、1916年には士官5名、下士官兵21名、1922年には士官6名、下士官兵22名)
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アザリア (1、2、3) |
Azalea | Johnson Foundry & Machine Company | 1891/6/25 | 1933/6/30 | ◎1890 起工 ◎1890/11/29 進水 ◎1917/4/16 海軍に移管 ◎1919/7/1 灯台部に移管 1921 Pollock Ripにて濃霧によりスクーナーLavinia M. Snowと衝突し損傷、のちに修理 ◎1933/12/13 ウィルミントンのWilson Linesに売却されChristianaと改名(オフィシャル・ナンバー232860) ◎1940 Bahamas Trading Co. に売却、ホンジュラス船籍となる(ジャクソンヴィル~バハマ間を貨物船として運航) ◎1941 改装(770軸馬力のディーゼル機関に換装工事) ◎1942/8/6 海軍が購入 |
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◎Boston. 1st Naval District. |
- 軽荷排水量:597t 満載排水量:1,053t(1,125tともいわれる) 全長:50.59m 幅:水線8.53m 吃水:3.50m(平均、3.96mとも4.26mともいわれる) 主缶:Page & Burton製石炭焚きスコッチ式水管缶2基(1934年には石炭焚きから油焚きに変更) 主機/軸数:compound inverted reciprocating蒸気機関1基/1軸 出力:600馬力(672馬力ともいわれる) 速力:10.4kt(11.4ktともいわれる) 航続力:11.0ktで1,330浬 乗員(1907年時):士官5名、下士官兵17名(1910年~1925年には士官6名、下士官兵20名、1937年には士官6名、下士官兵24名)
- ※10tクレーンを搭載
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
アマランス (1、2、3) |
Amaranth | クリーヴランド・シップビルディング社 | 1892/4/14 | 1945/9/29 | ◎1891 起工 ◎1891/12/18 進水 ◎1917/4/16 海軍に移管 ◎1919/7/1 灯台部に移管 1920/7/23 スペリオル湖のPassage Island灯台局に補給中、島の南西端の水中の岩に衝突し、shoeと舵が壊れ、後者は全損、のちにオンタリオ州Port ArthurのPort Arthur Shipbuilding Companyにて修理、ボイラーも新品に交換 ◎1941/11/1 海軍に移管 ◎1942/1 船種記号WAGL-201を与えられる ◎1946/10/19 民間に売却されSouth Windと改名 ◎1947 エンジン換装工事(900馬力ディーゼル) ◎1954 係船 ◎1957 Ocean Transport No. 45と改名 |
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◎Great Lakes (Duluth). |
- 軽荷排水量(1919年時):572t 満載排水量:821t 全長:49.98m(垂線間長50.29m) 幅(船の内側の最大幅):9.14m 吃水(最大):2.59m 主缶:Page & Burton製石炭焚きスコッチ式水管缶2基 主機/軸数:compound inverted reciprocating蒸気機関2基/2軸 出力:650軸馬力(1919年には550計画馬力) 速力(1945年時):10.5kt 燃料搭載量:石炭90t 航続力(1897年時):10.0ktで821浬 兵装(1898年時):ラピッドファイア砲(1945年には80口径20mm単装機関砲2基) 乗員:(1897年時):士官2名、下士官兵29名(1910年~1915年には士官6名、下士官兵22名、1922年~1924年には士官7名、下士官兵24名、1945年には士官1名、准士官3名、下士官兵36名)
- ※レーダー:SO-1レーダー(1945年時)
- ※メイフラワー Mayflowerの準同型船とされる
↑USLHT Mangrove. c. 1898. Photo from the collection of Rosalie and Bascom Grooms, Sr., courtesy of Florida keys Public Libraries. Image courtesy of NavSource.
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
マングローヴ (1、2、3) |
Mangrove | クレセント造船所&鉄工所 | 1897/12/1 | 1946/8/22 | ◎1897 起工 ◎1897/6/26 進水 ◎当初は第7灯台区 7th Lighthouse Districtに配属され、キー・ウェストを拠点としていた。戦艦メイン Maineの爆発事故ののち、負傷した生存者をアメリカに帰還させるためにハヴァナへ派遣。同年3月には海軍審問所が同船の病室にて行われる。のちに戦艦から引き揚げられた砲や、米西戦争開戦後にキューバを出航するアメリカ民間人を輸送した ◎1898/4/10 海軍に移管 ◎1898/8/14 キューバのCaibarienにてスペインの小型砲艦と小競り合いとなり早くから活躍した ◎キューバ中北部沿岸のブエナ・ヴィスタ湾にあるCayo Francésで、スクーナーDellieとEllen F. Adamsに乗船ていたキューバ軍の遠征を支援するよう命令され、マングローヴは1898年8月12日にCayo Francésに到着したが、スクーナーと遠征隊の痕跡は見つからなかった。同船は8月13日の朝にDellieを見つけ、Dellieからの一行はマングローヴの乗員に、Ellen F. Adamsが8月12日に遠征隊の一部を下船させ、Dellieが8月14日の朝に彼女の一部を下船させる予定であると伝えた。マングローヴの艦長は、マングローヴがCayo Francésに残り、Caibarien近くのスペイン海軍の砲艦がDellieの遠征隊の下船を妨害しないようにするとDellieからの一行に告げた。マングローヴは8月13日の午後にCaibarienに到着しようとしたが、不利な潮流のためにCayo Francésに戻った。8月13日の日没近くに、Caibarienの港の近くでスペイン軍艦の1隻が進行しているのを確認した。1898年8月14日の朝、マングローヴはCaibarienに近づき、10時55分ごろ、港の東2.5海里(4.6km、2.9mi)の所で、港の北側の沿岸に停泊している大きなスペイン砲艦(マングローヴの乗員は砲艦Hernán Cortésであろうと識別)を目撃した。マングローヴは左舷の6ポンド砲で砲艦に発砲し、ゆっくりと射程距離を稼いだが、砲艦はすぐに反撃し、左舷側全体を撃った。約5分後、マングローヴは右舷6ポンド砲に切り替え、ゆっくりと射撃を続けた。しかし、11時10分になると、マングローヴは砲艦の射程内に入り、そののち25分間、北から西に航行し、左舷6ポンド砲で安定した射撃を続けた。11時12分、Caibarien市の港に停泊していたスペインの小型砲艦がマングローヴに発砲したが、マングローヴはその射程外だった。11時25分、マングローヴは進路を反転し、南と東に操舵し、右舷6ポンド砲で大型砲艦と交戦し、11時45分まで同砲を連射し続けた。11時27分、マングローヴは1ポンド砲を発射したが、弾丸は不足し、マングローヴはこののち1ポンド砲を使わなかった。スペインの大型砲艦は、4.7インチ砲で安定した射撃を維持した。 7インチ(120mm)砲で安定的に射撃しており、マングローヴの上まで届くことができたので、11時45分にマングローヴの艦長はスペイン砲艦を岸から離して、マングローヴがより対等に交戦できるようにするために、射程距離を開けて砲撃を中止することを決めた。スペインの大型砲艦もマングローヴが離れると砲撃を止めたが、交戦に加わった小型砲艦は12時30分までマングローヴに無益な砲撃を続けた。昼間、スペイン人が休戦旗を持って小型砲艦に乗ってマングローヴに接近して、スペインとアメリカ間の敵対関係が8月13日に停止したという知らせがマングローヴに乗っている船に届いたと知らせた。こうしてマングローヴは、戦争が正式に終わった翌日ではあったが、米西戦争の最後の戦闘を戦うという栄誉を得た。この交戦で同船は6ポンド砲から103発の徹甲弾と1ポンド砲から1発の徹甲弾を発射した。しかし8月14日午後、Caibarienから撤退する際に座礁したが、すぐに再浮上してキー・ウェストに向けて出発した。海軍は戦争中の“目立った働き Conspicuous Service”を理由にマングローヴを表彰している ◎1898/8/18 灯台部に移管。引き続き第7灯台区で勤務することになった ◎1909/10 ハリケーンにより座礁した税関監視船隊蒸気船フォワード Forwardを支援 ◎1917/4/11 海軍に移管。第一次大戦中は哨戒艇として活躍した ◎1919/7/1 灯台部に移管 ◎1922 第6灯台区 6th Lighthouse Districtに配属され、チャールストンを拠点に残りの官職期間、ここで活動した ◎1941/11/1 大統領令8929号により海軍に移管 ◎1942/1 船種記号WAGL-232を与えられる 1943/7/8 座礁 ◎1946/1/1 沿岸警備隊に移管 ◎1947/3/6 解体のため売却 |
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◎Charleston, SC. ☆拿捕または撃沈スコア(以下の艦船) ・1898/4/25 汽船Panama(拿捕) ・1898/7/22 スループAnguedita |
- 軽荷排水量:245t 満載排水量:317t 全長:37.18m 幅:6.70m 吃水:3.04m 主缶:Almy式水管缶1基 主機/軸数:triple-expansion vertical inverted steam機関/1軸 出力:278馬力 速力:9.0kt 航続力:8.0ktで750浬 乗員(1915年~1917年時):士官4名、下士官兵8名(1924年~1925年には士官5名、下士官兵12名、1930年には士官6名、下士官兵13名)
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
ファーン (1、2) |
Fern | Hall Brothers Shipbuilding Co. | 1915/6/25 | 1934 | ◎1914/6/11 起工 ◎1915/2/6 進水 ◎1917/9/4 海軍に移管 ◎1919/7/1 灯台部に移管 ◎1934/9/19 民間に売却されSewardを拠点とする貨物船となる ◎1934/9/19(1938?) 陸軍が取得、艦種を大型貨物補給船(FS-551)に改め、S. D. メイソン S. D. Masonと改名 |
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◎16th Lighthouses District. Ketchikan, AK. |
- 満載排水量:435t(436tともいわれる) 全長:32.61m 幅:8.83m 吃水:2.05m 主缶:水管缶1基 主機/軸数:vertical compound機関/1軸 出力:278馬力 速力:9.0kt 航続力:8.0ktで750浬 乗員(1920年~1922年時):士官2名、下士官兵23名(1924年には士官3名、下士官兵12名、1937年には士官3名、下士官兵13名)
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
シュラブ (1、2、3) |
Shrub | William G. Abbott Shipbuilding Co. | 1920/7/31 | 1947/7/1 | ◎1919/10/28 灯台部に移管、改装、シュラブと改名 1931/10/6 York HarborのBlack Rocksにて座礁 ◎1931/10/31 離礁、のちにスタテン・アイランドにて修理(修理額$39,156.00) ◎1939 船種記号WAGL-244を与えられる ◎1947/12/29 売却され商船となる 1963/3 バハマ諸島にて沈没 ◎1966 解体 |
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◎2nd Lighthouses District. Bristol RI. |
- 満載排水量:1,130t 全長:52.57m 幅:9.75m 吃水(最大):3.50m 主缶:Page & Burton水管缶2基 主機/軸数:アリスチャルマー式compound, inverted, reciprocating蒸気機関2基/2軸 出力:1,000軸馬力 乗員(1924年~1925年時):士官6名、下士官兵22名(1930年には士官7名、下士官兵20名、1937年には士官7名、下士官兵24名)
- ※陸軍機雷敷設船アブサロム・ベアード准将級を改装
- ※電子機器(アカシア):テレグラフ、無線方向探知機
- ※鋼鉄船体、鋼鉄ブーム、20t capy、蒸気ホイスト
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
スピードウェル | Speedwell | Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | 1923 | 1947/6/19 | ◎1923/4/23 Lighthouse Serviceに移管、船種を設標船に改め、スピードウェル Speedwellと改名 ◎スピードウェルは第5灯台地区 5th Lighthouse Districtに配属され、メリーランド州ボルティモアを拠点としていた。第二次大戦が始まるとヴァージニア州ポーツマスに移された ◎1939/7/1 沿岸警備隊に吸収され、船種記号WAGL-245を与えられる ◎退役後、海事委員会に移管 ◎1947/12/30 ジャクソンヴィルのCaribbean Fruit & Steamship Co. に売却されSanta Patriciaと改名 ◎1956 解体 |
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◎Portsmouth, Va. | ||||||
Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | ||||||
Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | ||||||
Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | ||||||
Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | ||||||
アカシア | Acacia | Fabricated Ship Building & Coddington Engineering Co. | 1927/4/11 | ◎1927/4/14 Lighthouse Serviceに移管、船種を設標船に改め、アカシア Acaciaと改名、設標船に改装 ◎アカシアは1927年4月21日、サン・ファン地区に配属された。プエルト・リコと隣接する島々、ヴァージン諸島、グアンタナモ湾、キューバを活動範囲とした。本船は灯台見回り船として指定されていたが、航行補助施設の管理業務に加え、ステーション、小構造物、桟橋などの建設や修理にも使用された ◎1928年9月13日のハリケーン“サン・フェリペ”ののち、乗員たちはその修理の多さから“アカシア建設会社 The Acacia Construction Company”というニックネームをつけた 1932年9月、ハリケーンのためプエルト・リコのFajaro沖で座礁したが、無事浮揚 ◎本船の主な任務は、航行補助装置の設置と修理で、就役中に約255基を整備した。 乗組員たちは、パナマ運河の大西洋側と太平洋側、カリブ海西部、Morro Puercas、Jicarita島灯台、無警戒灯、点灯ブイ、無灯火ブイ、無線ビーコンをサポートした ◎1937春 Cristobal Canal Zoneにて入渠 ◎さらに、アカシアは遭難船や遭難者の救助活動も数多く行った。最も顕著だったのは、ブラジルの練習船Ainirante Saldanhaの救助である。 この船と乗員は、1938年7月25日にサンファン港入口沖で座礁したのち、行方不明となっていた。アカシアは乗員を救助し、この救出劇はブラジルで祝賀ムードを巻き起こし、国際的な注目を集めた ◎1938年6月、マンザニータ号の船長に転任したジョン A. アンダーソン船長 Master John A. Andersonから、オラ C. ドイル船長 Chief Boatswain Ora C. Doyleが見回り船の指揮を執ることになった ◎1939/7/1 沿岸警備隊に吸収され、船種記号WAGL-200を与えられる ◎1939年後半、アカシアと砲艦ウナルガ Unalga(WPG-53)は、抑留中の乗員による破壊工作で機関室を損傷したイタリア船タンカーColoradoを、修理のためサン・ファンからテキサス州ガルヴェストンまで曳航 1942/3/15 オランダ領西インド諸島のCuracaoからイギリス領西インド諸島のアンティグアへ単独で向かう途中、Saint Kitts & Nevis南西海域約70海里にてドイツ海軍潜水艦U161の砲撃により沈没(1、2、1942年3月15日11時37分から12時11分まで非武装のアカシアは、U161から甲板砲68発、37mm砲92発、20mm対空機銃70発を砲撃され、Saint Kitts & Nevisの南西約80マイルで火災を起こし、船尾から沈没した。生存者はPBYによって発見されたのちに駆逐艦オヴァートン Overton(DD-239)により救助され、3月16日にサン・ファンに上陸した。 これは、戦争中に失われた唯一の設標船であった) |
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◎San Juan, Puerto Rico. Sunk by gunfire from U161 north of Curacao, 15 Mar 1942 (none lost). |
- 排水量:243t 全長:46.02m 幅:10.56m 吃水:1.52m 主缶:フォスターホイーラー缶1基 主機/軸数:tandem compound機関2基/船尾輪 出力:320馬力 速力:8.0kt 乗員:36名
船名 | NAME | 建造所 | 就役日 | 退役日 | 除籍日 | 備考 |
コットンウッド | Cottonwood | Rippley Boat Company | 1938/5/17 | 1946/5/25 | ◎1938/5/17 沿岸警備隊に移管 ◎1939 船種記号WAGL-209を与えられる ◎1947/5/1 テネシー州パリス(フランスの首都パリと同じ綴り)にて売却 |
Update 24/08/14